3/9-10:INSTeMコンベンション「大人のためのリテラシ−:これからの知恵と技法を考える」開催

私が関わっている(財)INSTeMが、3月9日(土)10日(日)、東京大学本郷キャンパス福武ホールにおいてコンベンションを開催します。

タイトルは「大人のためのリテラシ−:これからの知恵と技法を考える」

オーディエンスとしての一般参加者とともに、アートやデザイン、企業教育、まちづくり、環境保全、メディア・プラットフォームまで、さまざまな領域でリテラシーに関わる実践やプログラムを展開してきている人たちに出展をお願いしたく、その広報を開始しました。

私は長い間、「リテラシー(Literacy)」という言葉を、文字の読み書きという営み(あるいは能力)と、その比喩であり応用であるメディア・リテラシーに限って用いるべきだと考えてきました。リテラシーとは、文字という記号体系の理解や活用のことを指す言葉なので、たとえば科学リテラシーや環境リテラシーといった用語は論理的におかしいと思ってきたのです。

例外は金融リテラシーで、それは貨幣も言語同様の記号体系だからです。しかし、英語ではリテラシーに対してニューメラシー(numeracy)という単語があり、それを使えばよいではないかと思ってきていました。

ただ、科学技術、環境、金融その他の領域でリテラシーに取り組んでいる人々の考え方や活動に接してみると、それぞれリテラシーという言葉を使いたくなる、あるいは使わざるを得ない事情があることがわかってきました。

たとえば科学教育とか環境教育といった途端に、大学アカデミアの専門家や学校教育制度が迫り出してきてしまい、自由が効かなくなる。そのためにリテラシーという言葉を掲げて、ものや人や場所に触れながら具体的なケースを通して実践をしてものごとを学んでいくスタイルの重要性を表現したがっていたわけです。

一方でメディア・リテラシーも、メディア環境の変化=メディア概念の変化のなかで新たな次元で再検討される必要があります。その時に、科学技術や環境問題はメディアの問題と地続きにあると、私はみています。

であれば、概念や用語としてはゆるくなってしまったとしても、「なんとかリテラシー」と呼ばれる営みや領域が連携していくことの方に意義があるはずです。そうした思いから、かつてのメルエキスポのようなバザール的な、祝祭的な場をつくっていこうと考えたのが、今回のINSTeMコンベンションの経緯です。

INSTeMとして初めての試みで、どうなることやらドキドキです。

ぜひぜひご参加いただければ幸いです。本郷キャンパスでお目にかかりましょう!